あらすじと作品情報
ニューヨークに住むユダヤ人のデヴィッドと、兄弟のように育った従兄弟ベンジー。現在は疎遠になっている2人は、亡くなった最愛の祖母の遺言によって数年ぶりに再会し、ポーランドのツアー旅行に参加することに。正反対な性格のデヴィッドとベンジーは時に騒動を起こしながらも、同じツアーに参加した個性的な人たちとの交流や、家族のルーツであるポーランドの地を巡るなかで、40代を迎えた自身の生きづらさに向きあう力を見いだしていく。
引用:映画.com
監督:ジェシー・アイゼンバーグ/製作:エバ・プシュチンスカ ジェニファー・セムラー ジェシー・アイゼンバーグ エマ・ストーン アリ・ハーティング デイブ・マッカリー/製作総指揮:ケビン・ケリー マイケル・ブルーム ジェニファー・ウェスティン ライアン・ヘラー/脚本:ジェシー・アイゼンバーグ/撮影:ミハウ・ディメク/美術:メラ・メラク/衣装:マウゴジャータ・フダラ/編集:ロバート・ナッソー/キャスティング:ジェシカ・ケリー
出演:ジェシー・アイゼンバーグ/キーラン・カルキン/ウィル・シャープ/ジェニファー・グレイ/カート・エジアイアワン/ライザ・サドビ/ダニエル・オレスケス
予告編とざっくり概要
前作では「世代」が大きな障壁だったけど、今作のそれは「資質と環境」あたりでしょうか。2人とも同じ傷を負っているのに、受け止め方がまったく逆。ゆえに疎遠になってからの社会との関わり方も異なり、ふと気がつけば大きな隔たりが出来てしまっています。
本作は監督自らの出自にも関わるホロコーストというデリケートな歴史に触れるということで、どんな雰囲気になるのかと期待半分、不安半分に思うところもあったのですが、蓋を開けてみればオフビートな「らしさ」はしっかり健在。ところどころ笑いがこぼれるほどの軽快さを保ちつつ、ダメな大人への愛おしげなまなざしが優しい素敵な作品でした。
感想(ネタバレ注意)
以下、オチに関わるネタバレは極力避けていますが、内容には触れています。気になる方はご注意下さい。
かつては兄弟のように共に過ごしていたのに、気がつけば疎遠になってしまった40代のペンジーとデヴィッド。久しぶりに対面したふたりは、ホロコーストサバイバーである祖母の遺志でポーランド旅行に行くことになります。自由奔放で愉快な男なのかと思いきや、突然感情的になって突拍子もない行動を取る型破りなベンジーと、堅実な仕事と家族を持ち安定した生活を送るデヴィッド。旅は「一緒に育ったにもかかわらずまったく正反対」の性格のふたりの掛け合いで進むことになります。
というわけで、90分というミニマムなつくりの本作の骨子となっているのが、この「正反対」というキーワード。特にわかりやすいのはベンジーとデヴィッドの対称的な性格ですが、作中ではさらに、彼らそれぞれが抱える二面性、たとえば――お気楽に見えるベンジーには自殺未遂をした過去があり、安定した生活をしているように見えるデヴィッドも、実は心の病を抱え薬に頼る日々を送っている――など、表面的に見えている性質と、ふだんは心の内に秘めた性質の違い、というのもクローズアップされていきます。ふたりはなぜ疎遠になってしまったのか、果たしてかつてのように屈託ない関係に戻ることができるのか、そこが本作の、メインのお話の流れとなっています。
もちろんこれは、バディものの構造としては別段めずらしいものではありません。さらにロードームービーとなると、むしろ王道パターンのような気がします(『ダージリン急行』とか)。でも本作はそこに、ポーランドという国の持つ歴史の明暗や、ダークツーリズムに関する両義性という、さらに複雑な二面性も重なってきます。しかも明らかに意図して演出されたベタベタなポーランドツアーや、ワルシャワ・ショパン空港をバックに流れ出すやけに大音量のショパン等々、なかなかシュールに笑いを誘うスタイルで。
これはポーランドにルーツを持つアイゼンバーグだからこそ許される手法。ポーランドにもホロコーストにもまったく関係しない私がどう受け止めたら良いのやら。この、観客の「決まり悪さ」を煽る作風は『僕らの世界が交わるまで』にもあって、とてもアイゼンバーグらしいなと思いました。
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そんなわけで、短尺ながら密度の濃い旅が進むにつれて、だんだん心が不安定になっていくベンジーと、それをたしなめたりなだめたり、なんとか他の参加者もいるツアーに支障が出ないよう奮闘するデヴィッド。デヴィッドはなぜか協調性を保とうとする自分より、ベンジーのほうが周囲に気に掛けられがちな現実にモヤみを募らせていきますが、基本的に大きなトラブルは起こらず、物語は淡々と進んでいきます。それでも全然飽きないのは、高い評価を受けている脚本の細やかな機微の作り込みと、それを表現するためのカナメとなる、ベンジーという面倒なキャラクターを演じるキーラン・カルキンの演技が素晴らしいから。
2人はいよいよ映画が終盤となっても、面倒臭くなるとホテルの屋上でマリファナをプカプカさせはじめ、けっきょく旅の始まりと終わりでさほど変化を見せません。ここは人によってはイラッとさせられたり、肩透かしを感じたりしてしまうポイントかもしれません。でも私はそんなところが中年らしくて、とてもほほえましく思います。
人間40年も生きていると、それまでの経験値が良くも悪くも邪魔をして、なかなか変わることができません。誰とでも打ち解けられる共感力を持ちつつも、繊細ゆえに生きていくことに前向きになれないベンジーは当然のこと、デヴィッドにしてもベンジーのスター気質を羨む気持ちこそあれ、大切な家族や仕事がありながら常識のものさしでははじかれてしまうような言動をしたいとは思いません。でも2人で自らのルーツに触れる旅を経て、互いの個性と共通の経験を持つ人間がそばにいることの頼もしさみたいなものを少しだけ確認したような、していないような――このささやかさがまさに大人のリアルで私は好き。
ラスト、まるで傷の象徴のような小石を家の前に置いて家族の元に戻るデヴィッドの器用さにも感服しますが、ベンジーの、空港での冒頭と重なる神経質そうな佇まいに、でも冒頭よりちょっと柔らかくなった日差しめいた光をふりそそいでいるところ、とても温かくて優しくて、観終わった後もいつまでもじんわり後を引きました。