あらすじと作品情報など
少女フィービーは母や兄とともに、祖父が遺した田舎の古い屋敷に引っ越して来る。この街では30年間にわたり、原因不明の地震が頻発していた。ある日フィービーは地下研究室でハイテク装備の数々を発見し、祖父がかつてニューヨークを救ったゴーストバスターズの一員だったことを知る。そんな中、フィービーは床下にあった装置「ゴーストトラップ」を誤って開封してしまう。すると不気味な緑色の光が解き放たれ、さらなる異変が街を襲いはじめる。
原題:Ghostbusters: Afterlife/2021年/アメリカ/124分
監督:ジェイソン・ライトマン
出演:キャリー・クーン/フィン・ウルフハード/マッケンナ・グレイス/ボキーム・ウッドバイン/ポール・ラッド/ローガン・キム/セレステ・オコナー/ビル・マーレイ/ダン・エイクロイド/アーニー・ハドソン/アニー・ポッツ/シガニー・ウィーバー/J・K・シモンズ/オリビア・ワイルド引用:映画.com
ざっくり概要と予告編(ネタバレなし)
2016年のリブート版は大好きです。もともとポール・フェイグ監督が好きだし、オリジナルメンバーと同じ舞台『サタデー・ナイト・ライブ』で活躍したクリステン・ウィグ、メリッサ・マッカーシー他、4人のバランスもよくノリも最高。オリジナルメンバーの扱いについては賛否両論あったようですが、もともとバカバカしさが売りだったシリーズらしくて個人的には好き。さらに当時ソー人気が絶頂だったタイミングで、とんでもない設定で登場したクリス・ヘムズワースに至っては、わたしの中では伝説となっています。
だから正直、2016年版をうやむやにして企画された今回の仕切り直しには、最初正直微妙な気持ちでした。作品とはまったく関係ないところで、一部の声の大きなファンが騒いだからって、なかったことにするのかよ…と。
とはいえ本作の監督、ジェイソン・ライトマンは1984年版の監督、アイヴァン・ライトマンの息子さん。唯一無二なつながりがある上に、ポール・フェイグ監督も「ジェイソン・ライトマン監督から挨拶があったし、気にしてないよー」という趣旨のツイートをしていたりして、彼らが大人な関係を築いているのに、わたしがプリプリするのもおかしな話。本作が公開される頃にはわだかまりもすっかり霧散していて、ごく自然体で映画館へと向かったのですが…。
尚、本作を鑑賞するにあたっては、1984年の『ゴーストバスターズ』を観ておくことをおすすめします。
80年代感こそ濃厚な前半の楽しみ方
正直、途中まではまったく『ゴースト・バスターズ』感の感じられない作品でした。旧作の要素は早々からあちこちに仕込まれているものの、いかんせんオクラホマのロケーションが凄まじすぎる。なんにもないんだもの。くすんだ田舎町、レトロ趣味なダイナー、周囲や大人との確執を抱えた思春期の子供に、大人なりの問題を抱えた大人――あれ、わたしが観に来たのはスティーブン・キング原作作品だったっけ?もしくは『ストレンジャー・シングス 未知の世界』?フィン・ウルフハードも出てるしな。
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それらはわたしのイメージする『ゴースト・バスターズ』の世界とあまりにもかけ離れていて、上映が始まってしばらくは落ち着かない気持ちで見ていました。とはいえジェイソン・ライトマン監督の資質からして、前作とトーンが異なってしまうのは仕方ありません。気持ちをフラットに調整していくにつれ、ジェイソン・ライトマン監督の持ち味である繊細さが見えてきて、特に各キャラクターの心理描写という点では、前半は退屈しませんでした。具体的には「科学オタク」で、最初は周囲から少し浮いている主人公フィービーの自然な変化、その兄トレヴァーの思春期の少年らしい恋愛に、大人たちの事情も、これまでの同シリーズとは思えないくらいシリアスでリアルだったような…。キャストの好演もありますが、そのあたりのエピソードは、これまでも不安定な人(不安定にならざるを得なかった人)を主人公にした、細やかな人間ドラマを得意としてきた監督の味わいが濃厚にあったように感じました。
ファンムービーとして大いに盛り上がる後半、しかし
そんなこんなで、最初こそ大いに違和感を覚えたものの、気持ちを切り替えるとだんだん気分も乗ってきます。中盤以降はスペングラー博士がどんな人物だったのかが明かされ、ゴーストバスターズの存在もフィービーたちの知るところに。ECTO-1の活躍、初代メンバーとのコンタクトも果たして、直接的間接的に80年代映画のテイストを踏襲しつつドラマはクライマックスへ…。
ただ、わたしのピークはそこまででした。終盤のドラマの重点が、完全に追悼(2014年に亡くなったハロルド・ライスミス)に振ってしまうからです。もちろん、追悼自体はいいんです。ビル・マーレイ以下、メンバーの再集結そのものはドラマチックだったし、亡くなった人間をCGで登場させるのも(わたしはあまり好きではないのですが)もう当たり前になってしまっていちいち考えなくなっています。
とはいえ、劇中に「for HAROLD」と表示までしてしまうのには、ちょっとどうなのかなと。ファンが盛り上がる気持ちはわからなくはないし、今回が初めての「ゴーストバスターズ」体験となる若い世代には意味が分からないでしょ? とお節介なことを言うつもりもないのですのですが…。
このテロップが出たことで、そこまでにも感じていたけど、なんとなくスルーできていたファンフィクション感がわたしの中で決定的に。さほどシリーズに思い入れのない人間としては、どうしていいのかわからなくなってしまったんだと思います。追悼自体が本作のクライマックスとなっているので、1作目の物語を(舞台こそ変えたとはいえ)そのまま踏襲した本筋もそれ以上のひねりなく幕引き、主人公であるはずの子供たちが自分たちだけの力で何かを成し遂げるでもないため、ジュブナイルとしてももうひとつ発散せず…。
そのあたりの弱い部分が、初代への愛や、クライマックスのテンションによって「アリ」になる人がいるだろうことも理解はできるのですが、わたしにとっては微妙でした。クレジットで流れるあのおなじみの曲も、重めウェットめに寄った作風にはややミスマッチに思えて、唐突さが否めなかったなあ。
そんなわけで
もうひとつ楽しめなかったというのが正直なところなのですが、これはひとえにわたしがこのシリーズの軸ととらえていたものと、出てきたものがあまりに違ったことによる齟齬なんだろうと思います。わたしは田舎育ちなので、初代の『ゴーストバスターズ』を観たときには、あの都会的で、ドライな雰囲気にすごく憧れたんですよね。今作はそこには全くといっていいほど触れていない、加えてわたしは熱心なファンとも言いがたいので、いまいち乗り切れなかったのだと思います。
ただ、血のつながりや思いを継承していく部分に焦点を当てたドラマは、この作品が公開されてほどなくアイヴァン・ライトマンが他界していることも併せて考えると感慨を覚えざるをえません。フィービーにとっての「科学」が、ジェイソン・ライトマンにとっての「映画」だったんだろうなと。そこに視点を据えて冒頭から観ていれば、初代とは異なる舞台が用意されたことも早めに納得できただろうし、ジェイソン・ライトマンという「こじんまりしているけど繊細な映画を撮る監督」の良さをもっと感じ取れたような気がします。そんな裏舞台を踏まえて見直したいような気はしているのですが、今のところまだ実行できていません。
そして最後におまけにようになってしまいましたが、主人公フィービーを演じたマッケナ・グレイスと、彼女の兄トレヴァーを演じたウィン・ウルフハードを筆頭に、子役たちの演技はとてもよかったです。個々の俳優としての魅力にも溢れていましたが、キャラクター造形も類型的じゃなくて好感度大。わたしはジェイソン・ライトマンの映画は好きな作品も多いので、新しい『ゴーストバスターズ』として彼女らにきっちりと焦点の当たる続編が制作されたら、また劇場へ足を運ぶつもりです。派手じゃなくていいので、ちょっとひねくれた子供たちの小気味いいコメディになるといいなーと思ってます!