映画『LAMB ラム』感想 あまり考えず素直に観るのがいいと思います(ネタバレあり)

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あらすじと作品情報など

山間に住む羊飼いの夫婦イングヴァルとマリアが羊の出産に立ち会うと、羊ではない何かが産まれてくる。子どもを亡くしていた2人は、その「何か」に「アダ」と名付け育てることにする。アダとの生活は幸せな時間だったが、やがてアダは2人を破滅へと導いていく。

原題:Lamb/2021年/アイスランド、スウェーデン、ポーランド/106分
監督:バルディミール・ヨハンソン
出演:ノオミ・ラパス/ヒナミル・スナイル・グブズナソン/ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン/イングバール・E・シーグルズソン
引用:映画.com

ざっくり概要

まずは本作について簡単な基本情報を記載しておくと、監督のヴァルディミール・ヨハンソンは『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』の特殊効果を担当していた方だそう。上映時間438分の大作『サタンタンゴ』の監督で、本作の製作総指揮としてもクレジットされているタル・ベーラが設立した映画学校で学び、在学中から本作の企画を練り練りしていたとのことで、このたび、初の長編作品デビューとなったらしいです。

続いて、監督と並んで脚本家として名を連ねているのがショーンという方。この方、実は世界各国で翻訳が出版されている著名な作家で、ビョークの楽曲の作詞もされているとのこと。アート系の映画とも関わりも深いらしく、アイスランドでは映画賞の審査員なども務めているのだそうです。しかも今回、調べていて出てきた今後のお仕事情報がなかなかゴージャス。何でも『ウィッチ』や『ライトハウス』のロバート・エガース監督の最新作『ノースマン 導かれし復讐者』ではエガースと脚本を共同執筆、次回作として『ボーダー 二つの世界』のアリ・アッバシ監督とのタッグも予定されているとのことで、なんだよ、ただのすごい人じゃん。

さらには主演のノオミ・ラパスが製作総指揮としてもクレジット、「カンヌが認めた問題作」というキャッチコピーも(ありがちだけど)気になるし、何より予告の子羊アダちゃんが超かわいくて。当然、期待は高まります。しかしひとつだけ不安要素が!

実はわたし、動物がひどい目にあう映画があんまり得意じゃないんです。予告編に登場するアダちゃんはもちろん、モフモフの羊たちやワンがどうかなるやつだったらどうしよう。痛いのはだめ。かわいそうなのも。劇場鑑賞は見送るべきかもしれない。でも話題作だし、アダちゃんかわいいし。

散々グズグズ悩みましたが、結局行きました。かなり警戒しつつ。で、一応結果をご報告しておくと、動物は死にます。死体も出てくる。でも大丈夫でした。直接痛そうな描写はなかったし、無駄に残酷ではなかったし。そもそも感情移入して楽しむタイプの作品ではないというところも大きかったかもしれません。そして「感情移入できない=つまらない」のかというと全然そんなことはなく、わたしとしてはブラックな味わいのフォークロアといった切り口で大いに楽しみました。「問題作」ということで危惧していた難解さもなく、観に行って本当によかったです。

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感想(ネタバレ注意)

※以下ネタバレあります。



第1章:まずは素直に狂気を満喫する

大きく3章に分かれている本作、第1章でまず圧倒されるのは、アイスランドのひたすら広大な自然です。どっち向いても山、山、山。そして自然以外なにもないところで、羊を育てて暮らす一組の夫婦、イングヴァルマリア。なかなか大変そうな羊の世話という作業を、黙々とこなしていくふたり。

ただ、ちょっとこの夫婦おかしいぞ、という雰囲気が開始からほどなくの食事のシーンで垣間見えます。話題は「タイムトラベル」について。内容や会話のトーンはほんの雑談という感じなんだけど、ふたりともあまり楽しそうじゃない。やりとりもどこか核心を避けるような緊張感をはらんでいて、「険悪」というより「剣呑」といった雰囲気。やだわー、この閉ざされた空間で夫婦がうまくいかないって地獄。

さらに話が進むと、この夫婦は過去に子供を失っていることがあきらかになります。多分それをきっかけにふたりの気持ちは不安定になり、醒め切ってしまったみたい。身近に第三者もいない環境で、いやー、もう考えただけできつい。

そこに現れたの半人半羊のアダちゃんです。アダちゃん超かわいい。ふたりはこの子を「授かりもの」として大事に育てていくことにします。すると久しぶりにふたりにも笑顔が。関係もうまくいくようになっていくんですよね。ご無沙汰だったセックスもしちゃう。そこはわからなくもない。子供を持つことがかなわなくて傷ついた夫婦がペットを迎える、ペットセラピー的なものだと思えばそれはそれで悪いことではないと思うのですが、しかし。

アダちゃんは半羊半人。そこにまったく疑問を抱かず、「子供」として洋服を着せ、自分たちと同じ食事をテーブルに準備し、かいがいしく育てる夫婦の姿は超シュール。しかも洋服、ニットなんですよ。ウールの。笑うところ?ここ笑うところなの?

LAMB ラム

(C)2021 GO TO SHEEP, BLACK SPARK FILM &TV, MADANTS, FILM I VAST, CHIMNEY, RABBIT HOLE ALICJA GRAWON-JAKSIK, HELGI JOHANNSSON

アダちゃんは話すこともできないので、基本されるがまま。この状況をどう考えているのかもわからない。そしてそんなふたりとアダちゃんをじっと見る犬や猫、そして羊たち。アダちゃんのときどきアップになる物言いたげな瞳が異様と不穏をかき立てます。そして自分のしていることにやはりどこか咎めるところがあるのか、それとも母としてのいびつな正義に目覚めてしまったのか、妻、マリアの終盤の行動もあって、あきらかに「何かが狂ってる」。この奇妙な映画についての印象が、決定的になったところで第一章は幕引きとなります。

第2章:さらにシュールなコメディ味を堪能

第2章では、旦那様の弟ペートゥルが登場。どうやら人間関係や金銭面でトラブルを抱えているらしく、夫婦の住む山奥にやってきたのもそのあたりの事情があるみたい。素行のよい人とはいえなさそうです。でも洋服を着てテーブルに着くアダちゃんを観たときの反応は、観ているわたしたちに一番近いものなんじゃないかと思います。この状況、どう考えてもおかしいぞ、と。

特に面白かったのは、「これ、羊だろ」と思っているペートゥルがアダちゃんに草を食べさせるところ。アダちゃんももっしゃもっしゃと差し出された草食べるし。これ、観てる方も「食べるんだ!」って思ったよね。それまでの夫婦のナチュラルな振るまいとアダちゃんのかわいさからなんかうやむやにしていたけど、「やっぱり羊やん」

その後ペートゥルは、おそらく彼なりの正義感でもって異形のアダちゃんを撃とうとするものの、その無垢なまなざしにほだされて断念。以降はすっかり心を許し、一緒にお散歩に出かけたり、踊ったりします。仕方ないよね。かわいいもん。

でもそれだけでいつまでもいる理由にはなりません。実はペートゥルは過去、マリアと不倫していたらしく、今回もそれが目的のひとつだったよう。今はアダちゃんがいるし、そのおかげで旦那さまとの関係も修復されたマリアはそれをきっぱり拒絶。退屈になったペートゥルは、さっさとどこかへ行ってしまいます。

そんなこんなで第三者視点が入るこの章は、もっともコメディ感の強いパートとなっていました。ペートゥルが人間的にいかがなものかということはさておき、彼の考えることはかなり常識的。だらしないけど悪人というほどでもなく、突っ込み的ポジションをある程度担ってくれるので、とても観やすく、楽しくなっています。いよいよ彼が帰ってしまうシーンに至って、わたしは「冒頭から示唆されている、おそらくハッピーエンドにはならないだろう映画の終盤」が近いことを想起してしまい、思わず心の中で「帰らないで!」って叫びそうになりました…。

第3章:深読みは可能、でもそういう話ではなさそうです

ここから、ふたたび人間は夫婦のみになります。会話のシーンもぐっと減り、ときおり強調される動物たちの目から、あきらかに近くに「何か」がいるっぽい気配。このあたりの味わいは、ホラー的でもあります。でもその後はさほどそちらにはシフトせず、静かなままラストへと向かいます。ホラーやスリラーとして期待していた人には、やや拍子抜けかもしれません。でも、それにしたってこの展開は斜め上でしょ。わたしはじゅうぶん驚かされました。そして観終わってからじわじわと湧き上がる「これは一体何だったんだろう」感。あえてここはぼかしたままにしておきますが。

この夫婦の末路には、人によってさまざまな解釈がされそうです。「人のものを奪ったのだから自業自得」と思う人もいるかもしれないし、もうちょっと大きく捉えれば「人間の傲慢」とも言えるかも。「母の愛」や「子供を失った喪失感」を強く受け止める人もいそうだし、「アダちゃん嫌がってるじゃん!」、もしくは逆に「アダちゃんにとってはこれでよかったんじゃ?」もアリ。しかし人の家の羊をはらませるアイツもアイツで、どうなんでしょうかね。自然はいくらでもあるのだから、野生の動物となら自由な恋愛もできるでしょうに。牧場やってる人からしたら、キレどころはここでしょう。

さらに、随所にちりばめられたキリスト教的モチーフや神話、アイスランドという国の気候や国民性をひもといていけば、それっぽい解釈や理由付けはいくらでもできそうですが、本作については、そこはあまり考えなくていいのではないかと思います。もちろんそういった要素は織り込まれているのですが、わりと意味のない装飾っぽいもののような気がするからです。物語の原型である神話や寓話を再現するための、本当にただのモチーフ、アイデアに過ぎないんじゃないかと。そしてそういう古来の物語はとてもシンプルで、自分の置かれた立場や年齢、性別、生い立ち等々によってさまざまな受け取り方ができるもの。案外もう一度観たら、印象が変わったりもする。つまり「答え」を求めるようなタイプの映画じゃないんじゃないか、どのような解釈も可能、もしくは不可能に出来ていて、それがこの映画の魅力のような気がしています。


おわりに

わたしとしては、マリアにすごく惹かれました。弟との不倫の過去、母山羊を殺してしまうところも含めて、よくないと頭で分かってはいながらも、軌道修正出来ない感じ、すごくわかる。ボロボロになっている現状から、なんとか自分を保つ、あるいは抜け出すために、そうするしかなかったんでしょう。わたしはそれを傲慢とは思わない。むしろ冒頭の会話「このままでいい」という言葉にも象徴されるように、ただ流れに身を任せて、腫れものに触るように奥さんに接する日々を「よし」とする旦那さんよりよっぽどたくましくて好感が持てる。

ただ、半人半ヤギの生き物はどう考えてもおかしいです。あの状況での現実的な選択としては、警察なり保健所なりへ通報するのが最善だったんでしょうね。ただ人には「最善策」が取れないときがあるのです。でもこの出来事を経て、マリアは地に足をつけることができるようになったはず。

ラストの彼女の表情は、つきものが落ちたみたいスッキリとしていました。しょうもない男たちとは縁を切り、「アダ」も帰らぬ人なんだということを得心したんじゃないかな。アダちゃんは連れて行かれるとき少しだけ寂しそうだったから、奪還しに行くなり、アイツと所帯を持つなりしてもいいんだけど、わたし的には町へ出て、いい男を見つけてまた子供作ってほしい。とにかくがんばって生きて!応援してるから!観賞後は、そんなことを考えながら劇場をあとにしました。

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