映画『ミセス・ハリス、パリへ行く』感想 善意が人の心や社会を動かす素敵な物語ではあるけれど(ネタバレあり)

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あらすじと作品情報など

1950年代、第2次世界大戦後のロンドン。夫を戦争で亡くした家政婦ミセス・ハリスは、勤め先でディオールのドレスに出会う。その美しさに魅せられた彼女は、フランスへドレスを買いに行くことを決意。どうにか資金を集めてパリのディオール本店を訪れたものの、威圧的な支配人コルベールに追い出されそうになってしまう。しかし夢を決して諦めないハリスの姿は会計士アンドレやモデルのナターシャ、シャサーニュ公爵ら、出会った人々の心を動かしていく。

原題:Mrs Harris Goes to Paris/2022年/イギリス/116分/配給:パルコ
監督:アンソニー・ファビアン
出演:レスリー・マンヴィル/イザベル・ユペール/ランベール・ウィルソン/アルバ・バチスタ/リュカ・ブラボー/エレン・トーマス/ローズ・ウィリアムズ/ジェイソン・アイザックス
引用:映画.com

ざっくり概要と予告編

原作はポール・ギャリコ。アメリカの作家ですが、日本でも翻訳がたくさん出ているし、映画好きなら『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年)の原作者として記憶している人も多いはず。わたしは中学生のころに読んだ、矢川澄子訳の『雪のひとひら』『スノーグース』のイメージが強く、大人っぽい、美しい詩のような童話を書く人というイメージが強いのですが、実はもう少しコミカルなヤングアダルト向きのファンタジーやミステリ、さらには猫エッセイなども手掛けており、小説家になる前はスポーツライターとしても名が知れていたらしいので、とにかく多才な方のようです。

で、『ミセス・ハリス』シリーズというのは、そんな彼の代表作のひとつ。特に1作目となる『ミセス・ハリス、パリへ行く』は、何度か映像化、舞台化がされているみたい。ということはつまり、当然ある程度の面白さは担保されているはず、なんですが。それでもわたしが本作公開時、鑑賞にまで至らなかったのは、ファッションにまったく興味がなかったから。加えてドレスなど、いわゆる「女性らしいとされるもの」にアレルギーレベルで拒否反応を示しがちなところもあるので、もうまったく接点が見つからず。

完全にスルーのつもりだったのですが、その後かなり評判が良いことを知り、知人にもすすめられたため配信が始まったタイミングでさっそく鑑賞。大雑把な感想としては、なるほどたしかによくできていて、思っていたよりずっと深い。それでいて誰が観ても楽しめるハードルの低さもあって(実はラストには少し引っかかるところもあるのですが、それはネタバレのほうで書くとして)基本的にはとてもほっこりする、痛快で爽快な「寓話」となっておりました。

これは原作クオリティの高さというのがまずあるし、ミセス・ハリスを演じるレスリー・マンヴィルのキュートな魅力に負うところも大きそう。脇役にもしっかりドラマがあるため、イザベル・ユペール、ランベール・ウィルソン、アルバ・バチスタ、リュカ・ブラボーといった、主にフランスの新旧取り混ぜたスターの競演も見ごたえがありました。

ちなみに監督は、アメリカで育ち、UCLAで映画制作を学んだ後、現在はロンドンを拠点としているアンソニー・ファビアン。テレビシリーズや短編を中心に据えつつ、2008年の長編映画デビュー作『Skin』が注目されたみたいなんですが、今現在日本では観られないみたいです。

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感想(ネタバレ注意)

※以下ネタバレあります。



いろいろ都合がいいけれど

まずは序盤、大戦後ずっと消息の知れなかった夫の死が確定。晴れない気持ちをもてあましていたミセス・ハリスは、仕事先の金持ちの家でディオールのドレスに出会います。そのあまりの美しさに、塞ぎがちだった気持ちも忘れて魅入られますが、お値段なんと500ポンド(今の価値にして200万くらい)と聞き、がっくり。到底、手の届くものではないとあきらめます。

ミセス・ハリス、パリへ行く

(C)2022 Universal Studios

ところがこの絶妙のタイミングで、週に一度の楽しみとしてたしなんでいたサッカーくじが当選ドレスを買うにはまだまだ足りませんが、ミセス・ハリスはこれをきっかけににお金を貯めることを決意。仕事を増やし、日々の暮らしで節約しながら目標金額を目指します。

とはいえ500ポンドという金額は、まっとうな稼ぎだけではどれだけ掛かっても貯められる金額ではありません。最終的には再度ギャンブルで大穴を当てたり、未払いだった夫の給料や遺族手当的なものが支給されたり。結局、目標金額はかなりの幸運が重なることでなんとか達成。正直、ギャンブルで2度大当たりするあたりはちょっと現実離れしてますし、ご都合主義の感も否めません。でもテンポがいいし、夫の死で落ち込んでいたミセス・ハリスが急激に元気を取り戻し、どんどん前向きになっていくところはほほえましく、個人的には興ざめすることもなく、楽しく見ることができました。

いい意味で「思っていたのと違う」

そんなこんなで晴れてパリにやってきたミセス・ハリス。右も左も分からないながら、なんとホームレスに案内されてディオールの本店へ。店ではおりしも展示会が開催されているのですが、これ、招待状とかがないとはいれないやつじゃん? それくらい、ハイブランドとかに疎いわたしでもわかる。でも、ここも勢いと幸運で乗り切り入店することに成功。ショーを見ることもでき、いちばんほしかったドレスこそ意地悪なお金持ちに横取りされてしまいますが、次に気に入ったドレスを購入することで納得します。

ちなみに、オートクチュール(1点もの)のドレスは、着る人にジャストフィットするよう売れてから作るため、採寸や仮縫いに2週間かかるとのこと。サクッとドレスを買ったあとは日帰りするつもりだったミセス・ハリスは「そんなに長くパリにいるのは無理」となりますが、ここも会計士のフォーベルが「旅行中の妹の部屋を使えばいい」と申し出てくれます。

てかこの人ほんと運がいい。ここまで来るとさすがに「ありえなさ」を感じてしまう向きもあるかもですが、限りなく庶民であるミセス・ハリスには基本としてしっかり共感があるし、お金もせっかく貯めたのだからドレスも手に入れて欲しい。さらに彼女がハードルを乗り越えていくラッキーの源は、彼女自身が他人に見せた親切心がわらしべ長者的に功を奏してのものだったりするわけで。

序盤同様、なんとなく引っかかる部分はありつつも、テンポのいいコメディタッチとハリスおばさんの親しみやすさに釣られ、ふんわりした多幸感に包まれながら物語は中盤へと進みます。すると続いて見えてくるのは、本来は金持ちしか着ることの許されない、特別なドレスが出来るまでの「裏舞台」

華やかなドレスを作るのは、大勢のパタンナーやお針子さん。つまり、彼女たちもミセス・ハリスと変わらない一介の労働者であり、ひとたび裏側をのぞいて見れば、そこにまったく夢はなし。一見、華々しい現場で活躍する専属モデル、アルバ・バチスタ演じるナターシャでさえ、契約に縛られてブランドイメージのために望まない仕事をさせられているし、イザベル・ユペール演じる居丈高な支配人、マダム・コルベールにしても、実生活ではままならない事情を抱えています。しかもディオールは経営危機から従業員の大量解雇を計画しており、それを知ったミセス・ハリスはディオール本人に直談判。裕福層だけを相手にする商売では、これからの時代立ちゆかないぞと訴え、新しいビジネスモデルすら提案するのですが…。

あらすじみたいに書いてしまうと素っ気ないですが、ここはすごくよかったです。時代錯誤な商売をしていた風通しのよくない大企業に、第3者(しかも一介の家政婦さん)が混じったことで変化が起こっていくというところがほんとうに心地いい。ミセス・ハリスの行動は一見するとおせっかいだったり、図々しかったりするけど、それで停滞していた人たちが矛盾に気付いたり、自分の本質を知ったり、声を上げたりして、さらにそれが新しい時代をつくっていくところにつながるというのは、都合が良かろうが、リアリティがなかろうが上がります。こういう話だったからこそ、多くの人に受け入れられ、高く評価されたのかとわたし、ようやく納得。

その後、ミセス・ハリスは、いちばんほしかったドレスではないけれど、2番目に気に入ったオートクチュールのドレスを手に入れて帰国します。わたしはすっかり上機嫌で、なるほどなんていい話なんだと感動しきりだったのですが。

最後は少し残念でした

ここからは、オチの部分になります。ロンドンに帰ってきたミセス・ハリスは、なんと大事なドレスを人に貸してしまいます。相手は冒頭にも登場するちょっとだらしない雰囲気の、映画スターを目指す女性。ミセス・ハリスの大切なドレスも煙草を片手に受け取っていたりして、なんだかすごく不穏だぞ、と思っていたら。

言わんこっちゃない、彼女はうっかりその借りたドレスを、外出先のパーティで燃やしてしまいます。ボロボロになって戻ってきたドレスにミセス・ハリスはすっかり気落ち。大いにふてくされ、あろうことかドレスを川に投げ捨てて(!)しまうという。

一方そのころパリでは、ミセス・ハリスがいちばん気に入っていたドレスを購入したマダムの夫が事業に失敗、高価なドレスなど買えない状況になっていました。ドレス炎上事件が新聞に掲載されたことで事情を察したディオール勢は、買い手のいなくなったドレスをミセス・ハリスサイズに仕立て直し、プレゼント。ミセス・ハリスはもちろん大喜び。ラストはささやかな仲間内のパーティに出かけ、めでたしめでたし…って、ふーん、よくできてる。伏線も隙なく生きていて、一見、よくできてはいるんだけど!

ちょっと待って、やっぱりなんかおかしくない?

というのも、わたしはてっきり「ドレスはなくなってしまったけど、たくさんの人との素晴らしい出会いがあったからまあいいか」的なところに着地するんじゃないかと予想してたんですよね。いや、自分の思ったとおりにならないからってふてくされるわけではないのです。けどそもそも、クライマックスは大いに労働階級と支配階級(裕福層)の対立と言う構図で盛り上がっていたじゃないですか。だったらラストでは、裕福層の象徴でもある豪華なドレスの価値って、ある程度見直されるほうが寓話として自然。ていうかそもそも、燃えたドレス川に捨てちゃうって。このドレスは、ハリスおばさんがみんなに協力してもらって作ったものだよ? 繊細な刺繍やレース細工がどれほどの高い技術と複雑な行程を経たか、彼女はすぐそばで見ていたわけじゃん? ものすごく感嘆してたじゃん? それがそんなことする? それって、ここまでに起こった幸運の連鎖よりありえなくないですか? そんでもってサクッと新しいドレスがもらえるって。ドレスそのものに不備があったわけでもないのに、そこまで出来る権限がディオールの一介の従業員にあるとも思えない。そもそもロンドンの小さなパーティでドレスが燃えたことが、パリの新聞の一面に載ったりする?


おわりに

あまりに納得がいかなかったので、調べてみました。だって、ポール・ギャリコだよ。いや、そんなに読んでるわけじゃないけど、児童文学の名著だよ。どうしても考えてもおかしいと思うんだ。

するとやっぱり、映画のラストは原作からかなり大胆な改変がされているとのこと。でも実際どういうふうに変わっているのかはいまいち分からなかったので、原作を購入。さっそく読んでみたところ、ち、違う! 全然違う!!

具体的には、ドレスが燃えるところまではほぼ同じ。ですが事件が新聞に載ったりはせず、その後の展開はありません。ミセス・ハリスはひとしきり落ち込みますが(ドレスを川に投げ捨てたりはしません)、その後、ナターシャとフォーベル(結婚していた)やマダム・コルベールから近況と出会いを感謝する手紙が届き、それを読んだミセス・ハリスも「ドレスは着られなかったけど、パリ旅行はすばらしいものだった」と納得&気を取り直す、というオチ。つまり、わたしの予想した通りのラストにかなり近い。

くどいようですが、わたしは思った通りのラストじゃなかったからむくれてるんじゃないんですよ。原作のラストがわたしの予想通りだったからと、ドヤ顔をしたいわけでもない。でもね、やっぱり映画オリジナルで付け足した部分って、やっぱり蛇足、中盤から展開した深みのあるエピソードを全然ダメにしてしまっていると思うの。

もしかしたら、最終的にドレスに価値を持たせない終わり方にすると、この映画の目玉でもあるディオールの協力が得られなかったみたいな事情があったのかもしれません。当時のディオールのドレスのデザインを忠実に起こした中盤の展示会のシーンは本作の大きな見どころなので、それならまあ仕方ないのかもとも思います。それになにより「善意が人を幸福にする」という寓話としては、オチの前までは素晴らしく楽しかったし、キャストも魅力的。だから見なければよかったみたいなことは全然思わない。思わないのですが!!

本作を「いい話」だと感じた人に水を差す気はまったくありません。でも、もし「ご都合主義すぎてキツい」と思う人がいたら、ぜひ原作を読んでみてくださいエピソードも人物像も細部が結構違うので印象が変わると思うし、児童文学なので読みやすいですが、表現もゆたかで思いのほか大人びたお話になっています。正直ラスト以外でもいるかなあと思った、伯爵とのふんわりした恋愛エピソードなんかも、実は原作にはないんですよねえ。

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