映画『フェイブルマンズ』感想 本当は怖いかもしれない映画の話だった!(ネタバレあり)

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あらすじと作品情報など

初めて映画館を訪れて以来、映画に夢中になった少年サミー・フェイブルマンは、母親から8ミリカメラをプレゼントされる。家族や仲間たちと過ごす日々のなか、人生の一瞬一瞬を探求し、夢を追い求めていくサミー。母親はそんな彼の夢を支えてくれるが、父親はその夢を単なる趣味としか見なさない。サミーはそんな両親の間で葛藤しながら、さまざまな人々との出会いを通じて成長していく。

原題:The Fabelmans/2022年/アメリカ/151分/PG12/配給:東宝東和
監督:スティーブン・スピルバーグ/脚本:スティーブン・スピルバーグ トニー・クシュナー/撮影:ヤヌス・カミンスキー/音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:ミシェル・ウィリアムズ/ポール・ダノ/セス・ローゲン/ガブリエル・ラベル/ジャド・ハーシュ/デビッド・リンチ
引用:映画.com

ざっくり概要と予告編(ネタバレなし)

いまさら説明するまでもなく、言わずもがなの大巨匠スティーブン・スピルバーグによる自伝的作品です。

御年76歳ということで「もしかしてそろそろ人生の総括? 弱気になってない?」なんて、ちょっと不穏を覚えたりもしたのですが、聞けばわりと以前から構想があったそうで。当時はご両親が存命されていたこともあり、いろいろなタイミングを考えて、このたびようやく実現したとのこと。

脇を固めるのは、いずれもおなじみ盟友トニー・クシュナー(脚本)、光の天才ヤヌス・カミンスキー(撮影)、そして引退を撤回して参戦のジョン・ウィリアムズ(音楽、御年91)、マイケル・カーン(編集)と、いずれもその仕事を堪能するだけでも料金分の価値がありそうな、超盤石な座組みです。

キャストも演技派が顔を揃えていて。まずはスピルバーグのモデルとなったサミー・フェイブルマンを演じるガブリエル・ラベル。これまであまり代表作といえる作品はないようですが、劇中での佇まいがそれはもうまんまスピルバーグ!もちろん似ているだけじゃなく、感情の振り幅の大きな役どころにもかかわらず、演技もすごくよかったです。

サミーの両親はそれぞれミシェル・ウィリアムズポール・ダノが演じていますが、こちらは安定のベテランですよね。海外のサイトでご両親の若い頃のお写真が公開されているのですが、ちょっとびっくりするくらいそっくり。撮影初日、現場に入った2人を観て号泣したとスピルバーグ自身が語っていますが、うん、納得。

さらに、複雑な立ち位置のキャラクターながら、普段のアクの強さを封印して素晴らしい演技を披露していたセス・ローゲン、逆にクセ全開で強烈な印象を残すジャド・ハーシュ等々、キャスティングにも巨匠ならではのエッジが感じられました。

とにかくキャストやスタッフを列挙するだけでも充実度が伝わってくる作品なのですが、物語も大いに意表を突かれます。どういうことかというと、なんていうか…全然いい話じゃないんですよね。

とはいえ、スピルバーグの家庭環境が複雑だったことは、これまでの作品(『E.T.』とか『未知との遭遇』とか)を観ているとぼんやり窺い知れることであり、2017年に製作されたドキュメンタリー『スピルバーグ!』(2024年2月現在U-NEXTで視聴可能)では、本人の口からもある程度語られているので有名な話。今回スピルバーグが自伝的な物語を制作するとなれば、そのあたりが鍵になるのは当然予想されること。そこはわりと思っていた通り、いわゆる「崩壊していく家族もの」だったわけで、だったら一体何が意外だったのかと言うと…。

普通はほら、そうなると当然、孤独を抱えたスピルバーグ少年の心の癒やしとなったのが映画だったんだろうって思うじゃないですか。逃げ場所として映画に出会い、救われ、やがて作り手になったんだろうって。

それが、いざ蓋を開けてみるとまったくそんな話じゃない。なんなら、「映画」に魅せられれば魅せられるほど、それと同じかそれ以上に大切なものが壊れていく。なぜか思ったのとまったく違う方向に物事が進んでいく。語り口はライトなので暗い気持ちにこそなりませんが、これが「天才」に科せられた「呪い」というものなのかとゾッとする瞬間さえあったりもして…。

前半であまりバレるのもどうかと思うのでストーリーについてはこのへんまでにしておきますが、とにかく『フェイブルマンズ』は、それなりにある映画監督の自伝的映画のどのタイプにもあてはまりません。自分語りといえば定番の「苦悩」や「ノスタルジー」ももちろん感じ取ることはできるのですが、もっと大きな抗えない未来に、惹かれ、憑かれ、呑まれていくひとりの少年を絶妙の距離感で捉えていて…これはスピルバーグ、さすがの切り口、脱帽です。

本作は基本的にはそのタイトル(原題『The Fabelmans』複数形なんですね)が示すとおり「フェイブルマン一家の物語」ということになります。そしてそれだけでもじゅうぶん興味深く、ドラマチックな物語ではありました。ですが若い頃、サミー少年同様映画に魅せられ、8ミリカメラで映画を撮っていたこともある私は、「芸術」であり、同時に娯楽のメインストリームである「映画」の陰陽併せ持つ複雑な魅力を、巨匠ならではの趣向で描いている部分が特に印象に残り、豊かで味わい深い魅力を感じました。

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感想(ネタバレ注意)

※以下ネタバレあります。



序盤から漂う「狂気」と「違和感」が凄い

まずはオープニング、両親と共に映画『地上最大のショウ』(1952年/監督:セシル・B・デミル)を観に来たサミー少年(5歳)。初めての映画鑑賞で不安を隠せない彼に「静止した写真を連続で見ることによって動いて見えるだけ」と映画の原理を語る父親バートと、ひたすら「夢のような世界が体験できる」と語る母親ミッツィ。正反対な2人の言い分よりそのテンションの違いに、この夫婦の全く相容れない雰囲気が不穏。一方サミー少年は、映画が始まると画面に釘付けです。そしてクライマックスの電車事故のシーンで、折り重なる車両、ぐしゃりと潰れる車にとてつもない衝撃を受けます。

その後、彼は模型の電車と母親からもらった8ミリカメラで映画の再現を開始。それこそ、ひとたび夢中になると寝食を忘れたように没頭するのは子供あるあるですが、こういうところもちゃんとスピルバーグしているというか。

スピルバーグ作品の子供は、常に無邪気すぎて怖いようなところがあるんですが、カメラを手にしたサミー少年も例に違わず瞳孔開きまくり。子供の無心ってなんか時に狂気じみていて、さらにその子供が必死になっているのが列車と車をぶちこわす映像作りなのでその怖さは格別です。同時にこの体験があの『激突!』につながっていくんだよなと思うと、観ている側も怖さと興奮で全身がプルプルしてくるという、アンビバレントな感覚に揺さぶられます。

「映画」に試される少年のドラマ

その後も、サミー少年はひたすら映画作りに没頭。中学生になると、友人をキャストにかなり本気の西部劇や戦争映画を制作するようになります。この場面は、私のように自主映画経験のある人間にとってはたまらない部分ではないでしょうか。ちょっと自分語りになってしまい恐縮ですが、私がはじめて撮った映画は「まつたけを巡って地主、カップル、兄弟が三つ巴の戦いを繰り広げる」というアクションもので。世代的にジャッキー全盛ですからおもしろアクションコメディがやりたかったんですけど、砂埃を立てたり、傷や血糊をこしらえたり、うん、なつかしい。めっちゃなつかしい。夜中にフィルムを切って、ピンチでぶら下げて、それをつないで映写して。(クオリティはともかく)カットがつながって見えた時の喜びは今でもはっきり覚えています。

フェイブルマンズ

(C)2022 Universal Pictures. ALL RIGHTS RESERVED

ですが本作が、純粋に楽しいのは中盤まで。すでにこれまでもどこか不穏な母親の言動や、身内の不幸といった出来事が起こるのですが…。このあたり、彼の祖母の(たしか)お兄さん、ジャド・ハーシュ演じるボリスおじさんが家にやってくるあたりから様相が変わります。

彼は実はもともとショービジネスの世界の人で、とにかくクセが強烈で場面としてはオモシロな部分でもあるんですが、サミーが映画にはまっていると聞き、「芸術」が美しく楽しいだけではないことを熱弁。なんかもう急に違う映画みたいな雰囲気になるんですが、それは気のせいではなくて。

この場面を境に、サミー少年には次々と「映画を撮ること」によってもたらされる試練が襲いかかります。母親の不貞うまくやりたかったいじめっ子の思わぬ反応。でもそのたびに、意図せず真実を浮かび上がらせる映像の力、あったことをなかったことにできる編集のマジック、対象をどのようにも見せられるドラマの魅力…つまり「映画の力」をも知らされることになります。

ただでさえ多感な年ごろのサミー少年。そんな彼に凄まじい絶望と恍惚が交互に襲いかかってくる展開は圧倒的。これまでに有名映画監督の自伝的作品や「映画」を扱った作品は数あれど、この切り口は見たことがありません。それでいてどの出来事も、これ以上ないくらい映画だからこその特性を象徴したもので…いやもうさすがです。そんな月並みな言葉しか出てこない。


やっぱりすごいスピルバーグ

そんなわけで、本作は基本サミー少年の両親との関わりに始まり、終わります。その内容は思春期の少年にはショッキングな部分もありますが、基本的にはどこの家庭にもありそうな出来事で。しかもサミー少年はそれなりに悩んだり葛藤したりはするものの、裏切りとも取れる家族の行為について、またあるいは夢のために、周囲と激しくぶつかるような描写はありません。どちらかというと物語を華やかにしているのは、両親はもちろん学校のリア充、初恋の相手…常にサミー少年は一歩引いたところから世界を眺めているようなところがあるのですが。

これはそのまんまスピルバーグの過去なのか、それとも本作のために据えたサミー少年という主人公に、「傍観者」という天才映画監督の資質を感じさせたいがための「演出」なのか。

単に「自分語り」になってしまうことが照れくさかったのかも知れませんが、とにかく「自伝的映画」を作っても一筋縄ではいかなくて、観る側の頭を使わせる。断片的なエピソードの羅列はともすれば散漫な印象を与えがちながら、いちいち気持ちの乱高下は強いられるし、さらには随所にこれまでの作品のインスピレーションらしきものが散りばめられていて。

そういえば、スピルバーグ作品にはこれまで、たびたび父親との関係の複雑さを想起させるようなシーンがありました。でもそれに関しても、本作を見る限り、単に父親と不仲で、母親を慕っていたというわけでもなさそう。家族を顧みなかったのはてっきり父親の方だと思ってたのですが、実は出て行ったのはお母さんだったというのも驚きの事実。おそらく両親に抱く感情は年々変わっていっただろうし、自分自身が父親になれば、「父親」というキーワードに対してのインスピレーションも変化したとは思うのですが。

とにかく引っかかりが多く、感想を述べるにしてもどこからまとめればいいのかわからない。何度も観たくなってしまって、観たらまた違うところが気に掛かる。これまでの監督作を観ていれば観ているほど、あれもこれもあそこもそこも、とすべてが気になってしまって!

そんな不思議な映画のラストは、これまた度肝を抜かれるというか。直前までなんやかんやで「いろいろあった家族が丸く収まるまで」という物語をそれなりにいい雰囲気にひっぱり続けてきて、ラストがこれってどういうこと!?

本作でデヴィッド・リンチジョン・フォードを演じるという情報はわりと早くから聞こえてきていましたが、まさかこんな登場をするとは。作中に登場するエピソードも、どこかで聞いたことのある有名なものではありますが、このシーンだけ撮影や演出が完全にデヴィッド・リンチ風味になっていて、始まった瞬間「???」、と明らかに違和感。そして御大登場、やりたい放題です!

ややもすれば作品のバランスを崩してしまいかねない大胆な「お遊び」ですが、これがもうね、さすがの案配。150分オーバーの本作の、140分間退屈してしまったとしても許さざるを得ない粋なラストシーンとなっています。なんとも言えない軽やかさに心はニコニコなんだけど、思わず「卑怯!」と叫ばずにはいられないような…。

いやー、全然まとまらないですが、とにかく気がつけば最初から最後まで巨匠の胸三寸に踊らされるばかりの作品でした。スピルバーグの古いタイトルはそんなに観てないし…という若い人でも「映画」や「映像」に興味があるなら、その力を理論的、かつ直感的に体験できるはず。ぜひ観ていただきたいですし、過去作は後追いでも全然大丈夫ですよ。

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